顕在意識は追認機関に過ぎないよなぁ
今日のお昼は一人で僕の大好きなインドカレーの店に行ったんです。インドカレーを焼きたてのナンで食べたい気持ちが強すぎて、最近は付き添い人無しでも通っているのですが、今日はなんだかいつもと様子が違いました。
店内には、いつも見られるような作業的に昼飯を掻っ込むタイプのリーマンは確認できず、客席には歓談を愉しむ私服の女性達しかいません。あんまりそういうことを気にするタイプではないのですが、流石に男性客一人は気まずいです。おいおいインドカレー屋ってこういう店じゃないよな、てかカレーで洋服汚れるの怖くないのか。通された席も女子大学生団体の隣で少し居心地が悪かったです。
料理が出されてからは目の前の輝きに集中できたのですが、食べ終えて席を立ったとき、隣の大学生がビクッと肩を震わせたのがわかりました。
僕は入店時の違和を思い出して、彼女はなにか後ろめたい僕を咎めるようなことを言っていたのかもしれないと連想します。まったく意識の外にあった記憶を思い返してみれば、彼女らは「ナン食べるの早くない」だとか「ルーの量よく保つよねー」だとか言ってた気がします。他にもダレ気味で散発的だった彼女らの会話、僕の後に入って来た気まずそうな老人、談笑するインド人店員たち...これらの状況証拠は、会計の際に聴こえてきた「さっき絶対見てたよねー」の一言に実を結びます。やっぱ俺話のネタにされてたんやんけ!
顕在意識は自分がその場で求める印象や記憶を直接的に見出すわけではありません。わたしたちが出来るのは、既に得た印象や記憶の扱いの方向性を修正するのみであって、思索は単なる循環論法として因果信念を強化するサイクルでしかないのかもしれません。
そして僕がこの題材を選んだのは、別の記事を書いていたらなんか抑圧されたように気分が悪くなったために、いい加減に作られた記憶をなんとか瞑想的に漁ったことが発端であって、彼女らが僕をネタにしたのは、居心地のいいシャレた空間から異物を排斥しようとする脊髄反射的な運動の一環なんだろう...虚無だーーーー