サウスパークを観てた

 ょっとキャパが厳しいときに課題が重なったのでコンビニのエナジードリンクコーナーを覗いたのですが、ひいきにしてた集中リゲイン君が補充されてなくて落ち込みました。ライジンみたいな詐欺エナドリを入れるならついでに水素水でも...と思ったらホントに入荷されててウケますね。あんなもん買うなら僕に電タバのリキッド送ってください。

 

 ここ最近神経の乱れからか、調子を軽く崩してしまいました。特に辛い症候があるわけではありませんが、寝ても疲れが取れず、授業が理解できなかったり指に力が入らなかったりします。今はいろんなケアを行ったのでこうしてハイに記事を書くことができていますが...。神経失調の怖いところは不調に気付きにくいところです。普通に暮らせているはずなのに自分がどうしようもない馬鹿に思えて、自覚症状がでる頃には相当重篤になってしまいます。

 

 これは神経にとっての話ですが、心的態度を閉じたものにする慣習や社会の圧力もまた、私達を自尊心とのギャップによって静かに鬱屈させていくものです。身近な例であればSNSへの気遣い、人間関係への配慮など。それらの源泉となる僕をとりまく環境は国際化やインターネット、引越しによってめまぐるしく変わっており、求められる対処は複雑で場当たり的なものになりがちです。煩雑な事情に対して適切で過度に自己を犯さない洗練された在り方として、どのようなものが考えられるでしょうか。

 

 近頃はそのような視点でサウスパークというブラックジョークを扱うアニメを観ています。10才の4人組の子供達がいろんなタブーに切り込んでいく話なのですが、彼らのなかにエリック・カートマンという極端な差別主義者の問題児がいて、特に彼がムチャクチャに文句を言う姿が痛快なのです。

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 ユダ公、貧乏者、カマ野郎!もちろん彼はヤバい奴扱いなのでそこそこに懲らしめられるまでがワンセットなのですが、禁忌への過剰な配慮を取り上げるサウスパークの象徴的なキャラと言えます。

 彼の言動が面白いのは、斉一に認められる人格が構成する公平な社会の名の下、私達が抑圧する違和感を取り上げてくれるからなのでしょう。もしあなたが底気味悪い宇宙人のなかで彼らと同じ一つの人格として生きなければならないとしたら、カートマンを救世主のように思うかもしれません(彼にとって宇宙人は有色人種ですが)。

 

 サウスパークのような禁忌の気遣いへの一時的ガス抜きとしてのコンテンツは、日本ではお笑いに認められます。オネエや障害が疑われるようなバカ、とにかく露出の多いおっさん等、生活上の配慮に疲れた人々にとっては助けになっているのではないでしょうか。実在する対象、過剰な配慮を求める団体ないし本物の障害者ととれる者の扱いに関してはサウスパークに劣りますが。

 

 このような文物は抑圧によって鈍磨した私達の感覚を喚起する契機にはなりますが、あくまでその場しのぎでしかありません。ストレスを抱えないために私達はどのような配慮をとればいいのでしょうか。

 

 考え込みすぎて直ぐに胸が痛くなる頭でっかちな僕としては、適度なゾーニングと直情的なカートマンの在り方をベースに違和感を否定しないいじり合いのできる環境を作ろうと思います。細かい説明は省きますが、端的な根拠を挙げるなら、自尊心の高い連中がネタ抜きに集まってもつまらないし、違和感を笑うことも受容の一貫だと考えるからです。

 この洗練された例としては一般的に想定される京都の風習が挙がります。料亭における濃厚で色っぽいサービスとは裏腹に、初めての来店者には一見さんお断りという冷たい対応。人々はトゲのある噂話が好きだが直接的に非難することはない。皮肉を利かせる鼻の高い島国のイギリス人を連想する人もいるのではないでしょうか。

 

 個人を真に独立した一者として尊重しすぎるのではなく、共同体の一人がどう組織され調和するかを考えるほうが、移ろう現状を的確に捉えることができると僕は考えます。